債務整理コラム

業界のタブー

1.今回は二回にわたり「タブー」についてのお話です。率直に申し上げて、どんな業界にでも「タブー」つまり暗黙の了解が存在します。例えばゼネコンならば「談合」をしているとか、スポーツであれば「賭博」を行っているなどと言う話はどなたでも耳にした事があるのではないでしょうか。

これは90年代のお話です。Aさん(28歳)はとある中小企業の役員でした。会社は金属加工製品の卸として実績がありますが、若くして役員に就いた理由は何もAさんに経営の手腕があるわけではなく、会社が同族経営であるためです。ですので、大学を出て早々Aさんは役員として着任したものの、とくに何かをするわけでもなく、出社をするや就業時間が終わるまで日がな一日インターネットをしていたり、本を読んだりしてふらふらと時間を過ごす毎日でした。

お金も時間もあるけれど、会社に拘束されてやれることが何もない。これがAさんの不満の種でした。このようなときにたまたま営業で訪れていたB証券会社の営業マンと意気投合したのです。みなさまも記憶されているとは思いますがこの当時はバブルに根を張った不良債権のつけで証券業界は青息吐息の有様でした。サーベラスやリップルウッド・メリルリンチなど、いわゆるハゲタカと呼ばれた外資系投資会社がこれらを買い漁り、日経平均はバブル期の半額近くにまで落ちていました。先に不安を抱えた状態で、未来に投資しようなどと思う人などいるわけがありません。このため、どの証券会社も生き残りをかけて必死だったのです。

大手の証券会社および銀行と呼ばれるものはバブル期であれば一億、90年代であれば五千万円以上のお金を入れた人を「顧客」と呼びます。言い方は悪いですが、それ以外の人々を「ゴミ」などと蔑むこともあるようなのです。しかしB証券会社は違いました。当時はネットの黎明期。他社に先駆けてネット証券を開いたのは資金五千万円以下の「ゴミ」層である個人から、ロングテールとして資金をかき集めると言う手法を目論んでいたためです。

このようなコンセプトで成立した会社なのですから、Aさんはまさにうってつけの鴨でした。資産も役職もまさに理想のような「顧客候補」だったのです。ネット証券からヘッドハンティングされるまで元々大手に在籍していたBさんですから、接待などはお手の物。現在でもそうですが、大手証券営業の厳しさと言うものは半端なものではありません。受話器にガムテープで手をぐるぐる巻きにされて日がな一日電話をさせられたり、泥酔するまで顧客接待をして家に帰ることもなく始発でそのまま出社したりなどと言うことも当たり前のようにある世界なのです。BさんはAさんをつれて毎晩のように高級クラブに顔を出し、Aさんにいわれるがままに脱ぎたての革靴にビールをなみなみ注いでは一気飲みをし、土日はAさんのゴルフのお供をすると言った生活を続けていたところ、初めは猜疑心もあったAさんの心もたちまち陥落してしまいました。

これらの接待と引換にAさんが購入した証券はオプション取引でした。オプションとは要は権利売買です。証券業者と言うものはボラティリティ(価格変動幅)の高い商品を勧めたがりますが、オプションはそのような鴨に売るためにある商品。そしてAさんが購入したものは、貴金属の権利売買でした。

金融知識の何もない素人が言われるままに適当な目分量で売買をしてみたところで、当然儲かるはずもありません。ことにオプションは信用取引であるため、ご多分にもれずAさんも多額の借金を抱えてしまいました。こうなるとBさんも次の段階へと移る算段を整えており、即座に手のひらを返して電話に出ることもなくなってしまいました。もちろん同時に社内の別の担当者が連日のように追証の取立てへと走ります。

このような状況でAさんは自力で借金を返そうと考えたでしょうか。はたまた債務整理を行おうと行動に出たでしょうか。もちろんそうではありません。なぜなら、役員とは名ばかりで何をしているのかもろくにわからないような場所には多額の現金が転がっているのです。当然のごとく横領を始めたAさんでしたが、意外にもその発覚は遅れました。なぜなら末端の社員たちはすぐにAさんの横領に気づいたものの、同族が役員を占める会社のことです。触らぬ神にたたりなしとばかりに見てみぬふりをしながらも、目ざとい社員たちから黙って逃げ出すような事態へと状況は推移してゆきました。

2.会社側の損失は数千万でしたが、会社としてはこれは絶対に口外できないものでした。ことに当時の金型業界は飽和状態に陥っているため、信用を失うことは即倒産を意味していたからです。しかしハゲタカに食い荒らされているこの時期です。銀行などはどこも貸し渋り、一銭の融資もしてくれません。まさに絶体絶命の状況に会社は置かれてしまいました。

このように会社が傾き始めたときに動き出すのは誰か。経営コンサルタントです。すぐに某大手の経営コンサルタントが飛びついて「M&Aを行いましょう」と社長に呼びかけました。ワンマン経営でのしあがってきた社長のことですから普段なら聞く耳も持たないでしょうが、精神的に追い詰められていたのでしょう。社長はM&Aのリスクと言うものを考慮せず、コンサルタントの言われるままに事業改変を行い、今までの卸事業からの脱却を図りました。結局、社運を賭けたこの改変は大失敗に終わりました。

問題は既にAさん個人ではなく、Aさんを含む一家ひいては会社全体の問題へと波及してきました。時代は既に00年代も半ばに移っており、ここまでずるずると会社を存続できたことそれ自体が奇跡のようなものでした。これはひとえに社長の意地によるものだったようです。しかし、失敗に対して精算を行わないと必ず破綻の危機を迎えます。この時期には債務整理業者が急速に台頭してきており、いわゆる「超大手」と呼ばれる業者も現れるようになりました。

Aさんとしては素知らぬ顔をするわけにもいかず、それなりに今回の騒動に対して責任を感じていたようです。この結果、雑誌の裏表紙でよく見かけるCと言う債務整理業者に会社の精算を依頼しました。このC社は設立の歴史が浅く、社員のほとんどが20〜30代の若手と言うフレッシュな印象の業者です。また雑誌やネットなどいたるところに広告を打っているため、とかく「債務整理ならC」と言った印象を植えつけていました。

ところが、この精算の手続がくせものでした。Cは若手が多い分、どうしても経験不足な感は否めません。貸金業者ばかりではなくとも、海千山千の債権者などは世の中にはごまんといるのです。中には債権回収にかこつけて暴力団との関係を匂わすような輩が出てきたようです。Cとしては当然怖気付いてしまいます。ことに業界において手を広げるため、一つの案件をなるべく早く収束させたいCとしては裏側での面倒な癒着などを持って来られるのが最も顔をしかめるものでした。結果、Cは着手金のみをもらってほとんど何もしないままに早々に退散。ただし、これは一概にCのみが悪いとは言えません。破産手続をするよりも早くAの母親、つまり会社の役員の一人が会社の資金を抜き出して海外にわたって預金しようとしたのが発覚したためです。これが後々において債権者側の不信を招き、問題をこじらせることとなったようです。結局、Aさんの父親は会社の借金をまるまる抱えて自己破産と言う憂き目に遭いました。

現在、この会社は残っていません。Aさんはアルバイトをして細々と生計を立て、母親を養っているようです。一連の騒動の責任を負ったAさんの父親に至ってはもはや今生において顔を合わせることも叶いません。

さて、今回のテーマは「タブー」でしたが、これら一連においてそれが何を示すのかお分かりでしょうか。あらゆる業種にはその業界を食い荒らすことだけを目的とした「お行儀のあまりよくない」人たちが存在します。彼らは食い荒らした後のことなどをまったく考慮しないため、水商売のネオンもさながらに「とても目立つ」ことが特徴です。それは接待しかり、提案しかり。常識のラインから外れて目立つ事には必ず裏があります。ですので債務整理はもちろんのこと、何か心奪われるような出来事が生じた場合、その裏側までしっかりと調べることをお勧めします。

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