債務整理コラム
「借金の不安をぬぐい去る方法」
実態とは裏腹に債務整理と言う言葉は、とかくネガティブなイメージをもたれがちなものです。当所を訪れられるお客様の中にも「よくわからないけど不安」と言う前提で、話を聞きにこられる方が多数おられます。それでもほとんどのお客様は「債務整理をしたい」と言う気持ちがあるために、疑問点や不安な要因に対してきちんと応答すればすぐに笑顔で「では、債務整理をお願いします」と述べてくださいます。しかし、中には周囲からお尻を叩かれて渋々連絡をしたと言う方もおられます。このような方の場合、借金を負っている現状よりも、まだ見ぬ債務整理の方がずっと怖いようなのです。ですが、囲繞された現在よりも、借金から解放された未来の方が遥かに明るい世界である事は言うまでもありません。
借金の話ではありませんが、数年前の夕方頃、当所に非通知で一本の電話がありました。
「知人の事でちょっと相談させて欲しい事があるんですが」
二十代後半から三十代くらいでしょうか。きちんとした口調の男性でした。
「承りました。ご詳細についてお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか」と当所の担当者が返答しました。
「あ、でも今すぐはちょっと話できないので、後でもいいですか」
「承りました。後ほど当所からお電話差し上げるので、よろしければお電話番号を……」
「あ、いえ、番号はちょっと……」とお客様は途端にしどろもどろに。
「左様でございますか、ではご住所をお教えいただければ当所からお伺いする事もできますが……」
「あ、いや、ちょっと、一回切ります。また後で」
言うが早いかすぐに電話は切られてしまいました。結局何がしたかったのかよく分からないまま、会話は終わってしまいましたが、しかしそれから二時間もしたところ、再び電話が鳴りました。
「あの、先程電話したYと言う者ですが」
それを皮切りに今度は聞いてもいないにもかかわらず、この方は先の電話で詳細を話せなかった理由を述べて下さいました。曰く、先ほどは愛人が目の前にいたために自宅の住所や連絡先などは一切口にできなかったとのこと。 なるほど、とは思いましたが、同時に私は、もしもその愛人が今日一日ずっとY氏といたら、Y氏は果たして後日当所に連絡したのだろうかとも考えました。多分、しなかった事でしょう。このように小さな環境の変化でも、自分で小さな変革を起こす事で、未来への道のりは変わるのです。
さて、多重債務で苦しんでいる方にとっては借金できる方と言うのはとても羨ましい存在のようです。しかし、無借金経営である上に毎日を懸命に労働に従事しているにも関わらず、借金を申し込んでもまるで相手にされない業種と言うものが、世の中には2つあります。一つは金融業。ちょっと考えてみればそれは当たり前の事ですね。銀行であれ、消費者金融であれ、そこの従業員がどこかからお金を借りていると言うのは業務の都合上とても大きな問題を孕んでしまいます。頼み込めば貸してはくれるかもしれませんが、やった途端に首になる世界ではあります。
もう一つは宗教法人です。宗教法人は実は金融の世界からはとかく煙たがられており、お金を貸したくない存在なのです。このため、大きな神社の神主さんであれ、実はクレジットカードすら持てないと言う状態。確かにもやもやとしていて実態があるとは言いがたい世界ですので、貸し手からすると一番厄介な業種であるとは言えます。ですので、神主さんが車を買うときには、なんと神社の敷地を担保に入れなければならないほどだと聞いています。
しかし一部の新興宗教や大宗教を除き、最もお金に難儀しているのが宗教と言う業種の実態なのです。お金を欲の塊のようにみなしているのですから、それはお金に縁遠くなるのも当たり前とは言えますが、同時に莫大な維持運営費や人件費が嵩むのですから、まじめな道徳家がこの矛盾に苦しむのは気の毒とも言えます。
ですが、彼らに非がまったくないとも言えません。とくにその一番の問題点は時代の変化に取り残されている事。当所に委任されたわけではありませんが、昔、山伏として有名な、ある宗派のお坊さんから自分の抱えている借金についてお話を聞かされた事があります。 「いえね、もう水道代も払えないんですよ。仕方ないから川に行って水を汲んでいる状態でね」 「檀家さんから法事やお葬式を頼まれたりする以外、普段はどのような事をされているのですか」 私がこう訊くと、向こうは腕組みをしてしばらく考えた後、厳かな声で述べました。 「山に行って滝に打たれたり、洞窟で篭ってお経を唱えたり、だな。山伏だもの」 私は思わず頭を振りました。山の奥でお経をあげてもお金にはなりません。熊や鹿はお金を持ってきてはくれないのです。このお坊さんは、何百年も前の修験者のように一文無しで生活できると言う意識が先立ってしまっていたのです。
このお坊さんの問題点は誰の目にも明らかなはずです。お金が必要ならばお金が行き交う人間社会にもっと目を凝らすべき。百人がいれば百人ともそうアドバイスする事でしょう。しかし当人にとってはそれがまったくわかっていませんでした。
少し大げさなお話をしてしまいましたが、同様の事例はいくらでもあります。いずれにせよ、これらの問題点は環境にその人が適応できていないと言う事に尽きます。そして、環境に自分を合わせられないと言う事は、自分と言うものがなんだかよくわかっていないと言う事と同義なのです。
債務整理に関して幾ら調べても不安が残ると言う方は、債務整理を行った後の自分についてしっかりと想像を馳せてみましょう。あらゆる人間は例え誰であれ、必ず病気をします。また悲しい思いもします。借金についてもそれは同じ。「あのとき借金さえしなければ」と考えるのではなく、当時は借金をしなければならない必要があったのです。しかし人間はどんどん前進してゆきます。新しい環境に適応し、今度はそれを踏み台に、さらに進歩してゆくのです。ですので、借金に対して後悔している方や債務整理に漠然とした不安を抱えている方は、債務整理を行なって借金が一切なくなった環境に自分がどう合わせてゆく事ができるのか、まずはそれをしっかりと想像してみましょう。そこで笑顔を浮かべて日々を送っている自分を発見できたそのとき、不安はたちどころに霧散してしまっているはずです。