債務整理コラム

取り立て屋は冷や飯作りが得意

借金生活から抜け出したいと願いつつも、抜け出せる人と言うのは実のところごく少数です。この借金生活から抜け出せる人は以下の2つを達成できている人だと言えます。

  1. 借金のない日常に強い憧れや理想を持っていること。
  2. 憧れと理想のためにリスクを受け入れられること。

1.の「借金のない日常と言うものに強い憧れや理想を持っていること」とは、自分の未来に対して歩んでゆく方向が定まっていると言うことです。料理で例えれば冷蔵庫の中身を見て適当なものを作るのではなく、「今日はチャーハンが食べたいな」と強く初めから思っているか、もしくは先に冷蔵庫の素材をひと通り見た後で「今日はチャーハンを作ろう」と言うような、しっかりとした完成形を想像できるか否かと言うことを示します。

2.の「憧れと理想のために、リスクを受け入れられること」とは、目標を叶えるために「多少の我慢ができるか」を示しています。先のチャーハンであれば、具の材料が足りないのであれば、外が雨降りでも、ネギや卵を買いに行かなければなりません。また、実際にチャーハンを作ってみたところで黒焦げになってしまったり、油の量の調整に失敗して思いの外おいしくなくなってしまうこともあるでしょう。お金を払って中華料理屋さんがチャーハンを作ってくれるのであれば文句の一つも言えるのでしょうが、すべて自分で作るのですからもし万一失敗した場合、このようなリスクも甘んじて受け入れねばなりません。

債務整理は「チャーハンの素」と同じです。当サイトを訪れられる方の中には既に明確に「借金のない生活を送ろう」と決意されている方もおられます。また「借金が苦しい。債務整理をしたらどうなるのかな」と思っておられる方もおられるでしょう。いずれにせよ、既に未来に対してある程度希望の光が差し込んでいる段階だと言えます。これらの方のために当所では「チャーハンの素」を提供しています。チャーハンを作ろうと言う意思のある方であれば、「チャーハンの素」を使えば、まず失敗はしません。

これに対して「債務整理なんてとんでもない。でも明日の返済はどうしよう」と言う気持ちを持ちながら漫然と当サイトを訪れられる方がおられるのであれば、それはどうしようもありません。いくら「チャーハンの素をご提供します」と当所がお勧めしたところで、肝心のお客様の方が「どうしよう」とばかりに素材の揃った冷蔵庫の前で立ち尽くしているのですから、それは何の料理にもなりません。

さて、チャーハン作りの話であればここで終わるのですが、債務整理の場合はせっかく借金をなくそうと決意したにも関わらず、その意思を揺るがせる人がいます。取り立て屋です。取り立て屋は冷や飯作りの名人です。「この前、おしょうゆ貸したでしょ」と言いはって、勝手に人様の家に土足で踏み込んで冷蔵庫を開きます。挙句に「チャーハンなんてとんでもない。私がこのありあわせの素材で今日の晩御飯を作ってあげますよ」と述べてきます。

そのときに「これは助かる」などと絶対に思ってはいけません。

彼らは、
「ほら、福神漬があるじゃない」
「冷蔵庫の奥に卵があるね」
「キムチの残りがありますね」
と、どんどんお客様の食卓の上に素材をならべてゆきます。

挙句の果てには「外は寒いですし、雨も降っていますよ。チャーハンの素なんて買いにいくのは止めなさい」とまで述べてきます。

この甘言にほだされて「ああ、面倒だな」と思ってしまうと、お客様の夕食は、昨日の冷や飯・生卵・キムチと言う冷たくわびしいものになります。そして似たような食事がその日のみならず、明日も明後日も続くことでしょう。問題は一度取り立て屋の言葉に乗ってしまうと、そこからの方針転換がむずかしくなることです。家から出たり、料理を作ったりするのがおっくうになるのです。

チャーハンは「料理」です。中華料理屋さんに行けばチャーハンと言う名前でお金を取っています。これはつまり、美味しく作ることができればお金を払ってくれる人もいると言うこと。チャーハン作りで生活していけるめどが立っているのです。お金が入ればもっと美味しい料理だって作れます。しかし、昨日の冷や飯と生卵とキムチは「料理」ではありません。単なる「素材」です。素材を食いつぶしていってはどんどんジリ貧になってしまうことでしょう。最終的には冷蔵庫の中もお財布の中もからっぽになります。

取り立て屋は恫喝のみならず、同情や好意のような態度を匂わせてくることがあります。しかしその裏にあるものは、何とかしてお客様からお金を巻き上げようと言う思いにほかなりません。

「チャーハンを作ろう」と明確な決意を持ちましょう。取り立て屋に対して「あの人はいい人だから」などと思ってしまうと、人生は地に落ちます。

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