債務整理コラム

債務整理のダルマさん

債務整理の無料相談に訪れられる方は、やはりその多くが言い知れない不安を抱えているように見受けられます。そのため、債務整理について具体的な説明を行う以前に、当所としては、まずはお客様に債務整理そのものへの不安を拭っていただいております。

お客様の債務整理における知識は様々です。お客様の中には借金の整理方法について事前に自分で学習して来られる方もおられます。また、特別な知識を持たずに「友人や家族に勧められたから」と言う理由で来られる方もおられれば、当所を信頼して「債務整理を行えば借金が減る」と言う強い信念で訪れてくださる方もおられます。

いずれにせよ当所では、まず現在の債務状況についてお客様に詳細をお伺いし、次いで当所から債務整理について説明を行います。その間、お客様からも色々とご質問を受けるわけですが、ここにはやはり自分の今後に対する不安と言うものがそこはかとなく感じられます。しかし、それはさもありなんと言うものです。お客様にとってはにっちもさっちもいかない中での、初めての債務整理の体験。これから何が起こるのだろう。果たして信頼して良いものか。そのような思いが胸中を席巻するのも無理のない話だと思います。

それでも視点をひっくり返して見ていただくと、お客様の願う答えが見えてくるはず。自慢ではありませんが、当所は債務整理の老舗としてこれまでに数多くのお客様の借金問題を解決してまいりました。お客様からすると債務整理は初めての体験で、そのため、それにまつわる数々の疑問を抱えておられるはずですが、当所からすると、これまでに数千回も同じご質問を受け、それに対してお答えをし、そして借金問題の解決を成功に導いてきているわけです。もちろん当所といたしましても、お客様から聞かれることのみならず、お客様から聞かれるだろうけれど、お客様としてはなかなか言葉にできないようなものまで先回りしてお答えしています。しかし、お客様からすべての質問を受け、そのご期待以上の答えを述べたとしても、それでも尚、やはり完全な不安の除去にまでは至りません。

そこで今回は、不安についてスポットを当ててみたいと思います。そもそも不安は自分の心より生じるもの。心より生じる思いについて、故事を引き合いに出しますと「無門関」と言う非常に有名な禅の書物に突き当たります。さらにその中から不安について絞り込んでゆくと「達磨安心(だるまあんじん)」と言う言葉を見つけることができます。これはどのようなものかと申し上げますと、

 座禅の始祖であるダルマさんが、ある日弟子に訊ねられました。
 「私はとても不安なのです。お師匠さま、どうすれば良いのでしょう」
 「では、何とかしてやるから、その不安を出してみなさい」
 「どこにあるのかわかりません」
 すると、ダルマさんが答えました。
 「ほら、安心しただろう」

これだけです。「無門関」は禅問答の教科書のようなものですから、少しわかりにくいところもありますが、長年にわたり、座禅の修行をしながらもまだ目的を果たせていない弟子の不安に対し、ダルマさんは心の置きどころについて説明をしています。そして、実は債務整理の不安も、このダルマさんのお弟子さんと似たり寄ったりなところがあります。

債務整理に訪れられる方の不安とは、借金を抱えて目の前が暗澹としている状況で、債務整理後の生活に自分はなじめるのだろうか、これを乗り越えていけるのだろうかと言うところに端を発している不安です。言うなれば借金問題と言う、どしゃ降りの雨をよけるため、今度は債務整理と言う名の濃霧を歩まねばならないと言った感じでしょう。

しかし、これをよく見つめてみるとお客様は、債務整理そのものが怖いのではないようです。より正確に申し上げると、債務整理を行った後の、新しい環境に適応できないかもしれないと言うことに不安を感じているのだと言えます。確かに借金がなくなったにしても、その後、自分が新しい環境を切り抜けられないかもしれないと言う思いはきっと恐ろしいに違いありません。

しかし、ここまで答えが出たのであれば、後の問題は簡単です。債務整理後の生活に不安があるならば、それをなるべく仔細にして当所に質問を投げてください。「なるべく仔細にして言葉に出す」ことが大切です。自分の未来の生活について質問するためには、自分の今の生活や収入・考え方や今後の方針など、自分自身をきっちりと規定しなければなりません。それも悶々とした思いではなく、言葉になるまで思いを練り上げることが大切です。

自分を知ると言うことは古今に渡るとても難しいテーマです。しかし、そこにきっちりと焦点を合わせるうちに、次第に債務整理と言う方法が、未来を築くための素晴らしい希望の光であることに気づくはずです。当所はダルマさんではありませんが、お客様が質問をすればするほどに、当所としては「ほら、安心しただろう」と言う思いをお渡しできることは確約できます。

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