債務整理コラム
希望は借金問題の敵?1
●債務整理に手が伸びない大きな秘密
世の中の人は借金と言う言葉の響きにどのような感情を抱くでしょう。どちらかと言えば明るいものではありませんね。少なくとも借金を負っていないのに、自分から借金問題に首を突っ込みたがると言う人はあまり耳にはしないはずです。それどころか借金を負っている人の中には「“借金”と言う響きすら耳にするのはイヤ!」と言う人も多数おられるはずです。これは取立や督促を繰り返し受けた末、もはや「借金」と言う言葉を耳にするだけでも暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまっていることが理由です。
「借金はイヤ」と言う気持ちは当然のこと。誰だって借金の返済などしたくはありません。しかし、いざ借金の返済が滞り始めれば事はそうは行きません。絶え間なく取立の電話が入り、また郵便ポストには督促状が溢れます。借金の返済ができないのですから、自然と家賃や水道光熱費・携帯電話代なども支払いが辛くなり、この支払を維持するためにまたも借金を増やしてしまう……。
この悪循環を断ち切るために債務整理は存在します。しかし債務者の方として「そんなことは言われなくても分かってるよ」と言いたいはずです。この「分かっちゃいるけど」をどう断ち切るかが今回のテーマ。
債務整理は行ったことのない人にとってとても敷居が高く感じられる面があるようです。また病院と同様に「行う(診療)のが面倒」と言う意識もいっしょくたになっていることも珍しくありません。このため、借金問題でも相当に切羽詰まって今日明日が生活できないとか、もしくは激しい取立でにっちもさっちも行かないと言う状況に陥らない限り、債務整理を行うきっかけを掴めない人も少なくありません。ことに「何とか今日明日は生活していける」とか、もしくは「カッツカツだけど今月の支払いは何とかなる」と言った状況だと、たとえ債務整理を行わずとも「今は分からないけれど、一週間後なら何とかなるかも……」と言った気持ちや「もしかしたら来月はここまで苦労しなくても返済できるかも……」などと言った気持ちになることもあるでしょう。しかしこれが大きなくせものなのです。
●お年寄りはみんなケチ?
お年寄りが財布の紐が堅いのは万国共通です。これは将来に対して収入がないため。考えてもみてください。たとえ今一千万・二千万の貯金があったとしても、これから二十年・三十年、ほぼ収入がなくなると考えたら自然とお金を使う気がなくなるはずです。お年寄りが財布の紐を固く締める理由とはつまり、お年寄りはお金の面で将来を悲観しているためなのです。もしお年寄りでも毎月サラリーマンと同じかそれ以上に収入が入ってくるのであれば、それほどケチにはならずに済むでしょう。将来に対して楽観的になるためです。
借金問題に関しても実はこの「お年寄りがケチ」な理由と同じ心理が働いています。債務整理を依頼する人の中には「借金の返済を続けて、我慢に我慢を重ねてきたけど、もうダメだ……」との理由で相談をしてくる人が少なくありません。つまり次の返済日の前までに将来を悲観してしまった結果、最後の救いの手として債務整理を選んでいるのです。借金問題の専門家の立場からすれば「最悪の事態に陥らずに済んで何よりだった」と言うホッとする気持ちがある反面、「こんな状況になる前にもっと早めに相談をしてくれれば、人生の再建もずっと早くなるのに」との残念な気持ちも少しあります。
●希望の源は思いのほか、安っぽい
このように、よほどの緊急事態に陥らないと債務整理を行おうとしない人は少なくありません。
これはそもそも人間が将来に対して楽観的であるように作られているためです。人間は未来においてとくに大きな問題がない限り、今日よりは明日の方が良いと思える前提になっています。昔のことわざで言うところの「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うものです。これは辛い局面であれば、今を切り抜ければ明日は楽になると言う希望につながります。例えば戦争で捕虜になった人などはこの希望を抱かなければ明日を生きることはできないでしょう。しかし、平素においてこの希望は悪い作用をすることもあります。それが先に述べた「今月の支払いは何とかなった」と言う問題です。金利分だけを何とかやりくりして返済をしていても、借金問題は解決しません。
頭で分かっているにも関わらず、債務整理が行えないその理由。それは「未来の自分は今よりも、もっと才能に溢れて素晴らしいものだから」と言う気持ちがあるためです。とは言え、それはそれで大切なものです。考えてもみてください。何の理由もなしに「明日の自分は今日より劣ったダメな者になる」と思っていたら、誰だって生きてゆくことはできないはずです。それよりは「明日は今日よりもずっと有能な自分になるはず」と言う思いが心のどこかにあるからこそ、明日を頑張る気力が湧いてくるのです。
しかし、明日は有能な自分になっていると「思う」ことと、明日は有能な自分に「なっている」ことはまったくの別物。要するに明日を迎えるや「希望」と「現実」の落差にがっくりと来てしまい、そうしてまた「明日の自分」に望みをかけると言う悪循環が出来上がってしまうのです。このからくりによって、債務整理を行わずに金利の返済を続けるだけの日々が出来上がってしまうのです。