債務整理コラム

借金問題ではあなたの「絶対」は覆される

一般的に理系の人々は社会的に重宝されやすいと言われています。実際、年収を比較してみると理系の方が圧倒的に高い傾向があります。理系のトップクラスが指すものは宇宙飛行士や科学者、金融ならば大手の保険会社や銀行、工業ならば最先端の研究者など枚挙にいとまがありません。

では文系の頂点とは何でしょうか。文学者でしょうか、オーケストラの指揮者でしょうか、翻訳者でしょうか。職業に貴賎はないため、頂点と言う言い方はおかしいかもしれませんが、一般的に難易度が高いと言われる文系の仕事の一つに、裁判官・検察官・弁護士などの法曹界の業務が挙げられます。法律が文系の一分野であることは考えれば誰もがすぐに気づく話ですが、それを逆に返せば、法曹が文系に含まれることは、そう言われなければ意外に多くの人が思いつかないところでもあるようです。

映画や文学の一分野に「法廷もの」と呼ばれる作品があります。「十二人の怒れる男」や「推定無罪」などはご存知の方も多いはず。日本でおなじみの「遠山の金さん」や「大岡越前」などの時代劇も広義の「法廷もの」に含まれます。法廷ものと呼ばれる分野の面白さは様々であり、たとえば遠山の金さんなどは奉行である金さんが遊び人に扮して捜査をし、最後に巨悪を裁くことでカタルシスを得られるところにあるでしょう。これに対して「十二人の怒れる男」などは被告が無罪であるか有罪であるかを陪審員と視聴者が一緒に悩むところに魅力があります。

実際の裁判に関わったことがあるとわかりますが、法廷には確かに文学に似た面があります。たとえば近所の子どもが隣家の柿の木から幾つか果実を失敬したと言う裁判があったとします。あなたはそれを目撃した証人として裁判所に出廷したとしましょう。

あなたは弁護士からこう問われます。
「その柿の木にはどれくらいの実がなっていたでしょうか」
あなたは子どもが柿の実を失敬していたときの様子を思い出します。
「たわわに実っていました。その中で子どもは柿の実を2つほど取っていました」

ここから弁護士は延々と、年端もいかない子どもが、多くの柿の実の中から少々のいたずら心で二つばかり柿の実を失敬した事実を述べます。その場合、そこに付随して柿の実が甘柿か渋柿か、甘柿ならどの品種でどの程度の価値があるかも問われます。さらにそれらが売り物ではない場合、どう判断すべきかなども採り上げます。そうして最後に弁護士は、この子どもは日頃から品行方正で周囲からの評判も上々、取った柿の実もおいしそうだったので両親と一緒に食べようと思っただけと述べたとします。

しかし、証人であるあなたはこう思うかもしれません。
「あの子どもはいつもワアワアうるさく、親御さんもけして近所からの評判が良いわけではない。遊び心で柿の実を失敬したのは事実だけれど、別にそこまで良い子には見えない」

さて、次に検察官があなたに質問します。
「この子どもは今までにもこの家の垣根によじ登ったりはしていなかったでしょうか」
あなたはこの子どもの今までの行動を思い出し、他の近所の児童に混じってこの子どもが垣根や塀によくよじ登っていたことを検事に伝えます。

すると検事はこの子どもの素行の悪さや親御さんの躾の至らなさ、近所からの苦情の声などを一つひとつ挙げては、この子どもが今までに柿の実はもちろん、色々なものを他人様の庭から拝借しているに違いないと断言します。

しかし、証人であるあなたはやはりこう思うかもしれません。確かにこの子どもは特別に品行方正な素行ではない。少なくとも将来、学校に銅像が建てられるほどの偉人にはならないだろう。しかしだからと言って検察が言うほどの悪人だとは思えない。これではまるで子どもの一族郎党が稀代の大悪人のように聞こえる。殺人や強盗で生活している家族でもないし、苦情と言ってもせいぜいが子ども同士の遊びの中でたまに大声が聞こえてくる程度だ。検察官の言っていることは大げさすぎる。

ここであなたの証言は終わります。しかし家に戻ると今度は近所の人が口々にあなたにこう述べるのです。「あなたの証言はあまりにもおかしい」と。何がおかしいのかとあなたが問いただすと、近所の人々は被告である子どもの素行について、銘々思ったことを口にしますが、それも一貫しておらず、てんでばらばらなのです。

人は真実を伝えることができません。誰しもの目に価値観のフィルタがかかっているためです。だから裁判官は多くの人の証言を採り上げ、その正確さを確かめながら、最終的には社会的な情緒と法律をうまく混ぜあわせて判決を下すのです。

もし借金のことで大きな問題が生じて法律に頼らなければならない場合、それが「絶対的に正しい事実」であったとしても、債務者自身が訴訟の段取りを整えたり、債権者と交渉したり、法廷に出廷したりすることはおすすめできません。相手が法律の専門家を出してきた場合、その債務者の述べていることがいかに本人にとって絶対の真実であったとしてもたちどころにそれが覆される可能性は否定できないためです。法律の専門家は「法廷文学」の使い方を心得ています。だからこそ、もし法的な問題が生じた場合には法律の専門家に頼ることが何より大切なのです。

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