債務整理コラム
借金問題におけるリスクを誰よりも早く察知するための方法 1
スペースシャトルに乗って宇宙に出たら、宇宙服を着ないとシャトルからは出られません。これは『絶対の法則』です。もし近所に遊びにいくような格好でぶらりと宇宙船から出たら、たちどころに窒息してしまいます。これはどんなに逆立ちをしても、どんなに偉い人でも、どんなにお金があっても遵守すべき事柄です。人間である限り、宇宙服がなければ宇宙空間には出られないのです。
同じように債務においても絶対の法則があります。いくら借金問題から顔を背けたくても、これ以上は「もうダメ」というところがあるのです。それが早めに感じられる人ほど、借金の返済において塗炭の苦しみを味合わずに済むことでしょう。
返済の法則を知るためにはまず、正常な精神状態であることが不可欠です。なぜなら借金の返済は債務者の精神を大きく圧迫します。ストレスを嵩ませ、収入が入るごとに債務者の心を試します。返済日が訪れるたびに「この借金さえなければ!」と思ったことは数知れないでしょう。実際、返済の途中で誘惑に負けてしまい、急激に利息が増えてしまったり、また債権者から裁判を起こされ、差し押さえされてしまったりした債務者は、かつてより、枚挙にいとまがありません。また、たとえそのような結果が生じずとも、債務の増加によって返済不可能なレベル、債務超過にまで陥ってしまうと債務者の精神は一気にパニック状態にまで陥ってしまいます。
借金が増えすぎて返済できないため、パニックにまでなるとなかなか正常な判断ができません。しかし、そこに至る前の時点ならばまだその危険な兆候は読み取れるはず。これに気づくことで「ここから先は危険だな」と判断することができるでしょう。
尚、今回のテーマは全部で三回に分けて綴りますが、一回目・二回目は債務超過という人生の危機において、まず知っておかねばならない心構えについてお伝えします。
1 借金なんて恥ずかしくない!
一昔前の社会では、よく『本音と建前』という言葉が用いられました。本音と建前とはつまり、思っていることと実際に行動すること。また、人目をはばかってこっそり行い、ときに周囲の人も見て見ぬふりをしてあげるような事柄と、人前で堂々と行うべき共有すべき徳目とをわけるというような行為を示すものです。
本音と建前の最もわかりやすい例として、茶道における『結界』があります。茶道は門をくぐって庭を楽しみながら、茶室まで赴きます。その途次において時折、縄で結いた置き石を見かけることがあります。これは「ここから先は入らないでください」という印です。置き石といっても、せいぜい手のひら大の小石ですからまたいで越えようと思えば、誰でもできます。しかし、少なくとも茶席に赴く人はその小石を超えたりはしない。それはそういう「約束」であり、それを守ることで茶道という一つの文化・社会が成立しているためです。
さて、同じように借金問題においても私たちの社会ではある通念が存在しています。最もわかりやすいものは法律です。しかしそれ以上にもっとなじみ深い観念があります。それは「借金は恥ずかしい」というもの。しかし、そもそも借金は本当に「恥ずかしい」ものなのでしょうか。
結論からいえば、借金は恥ずかしいものではありません。隠すものでもありません。他国では存じませんが、この日本では自動車・不動産・教育など、人生の主要な出費においては各種ローンを利用するのが一般的です。また、携帯電話やインターネットなどの日常生活で欠かせない各種サービスから、旅行や食事・レジャーなどの余暇に至るまで各種の支払いをクレジットカードで行っております。要するに『借金するのが当たり前』なのが日本国民なのです。
それにも関わらず「借金は恥ずかしいもの。してはいけないもの」という風潮が日本にはあります。その理由の一つとして収入の問題が挙げられることでしょう。要するに借金することが恥ずかしいのではなく、借金をしたのに返せない程度の収入であることが発覚するのが恥ずかしいのです。たとえばレジャーで豪遊した挙句、債務超過に陥ったとする。これは分不相応の生活をしていたから恥ずかしい、もしくは自分の計画性のなさが恥ずかしいということも一因として挙げられるはずです。
ところで今の言葉を逆に考えると、借金について考えるべき筋道がはっきりします。たとえばなすりつけられた借金であれば、それが返せようが返せまいが、恥とは程遠いものだということです。
「借金は返済しなければならない。もし返済できなければ人間として恥ずかしい」と思うのは、あくまでも建前の世界のもの。その点を間違えて返済に追われる人生にだけはならないようにまずは気をつけねばなりません。