債務整理コラム

債務整理を考えたときにぴったりの心の準備

未来は誰にもわかりません。これは人に限らず、動物であれ、植物であれ同じです。それどころか政治も天候も、一分でも一秒でも先のことは誰にもわからないのです。私たちがわかるのはただ「今日晴れていたから明日も晴れるだろう」とか「冬が終わりそうだからそろそろ春になるだろう」というように、過去の経験や知識にもとづいて予測をすることだけなのです。

借金に関しても同じことがいえます。お金を借りたとき、私たちは返済ができるだろうと予測をつけてお金を借ります。サラ金会社も「この人なら借金が返せるだろう」と予想するから融資をするのです。しかし、現実はやがて債務者が頭の中に思い描いていた予測とはまったく異なる様相を呈します。会社が倒産したり、解雇されたり、事故に遭ったり、病気にかかったり、はたまたパチンコで全部消えてしまったり、一等でゴールするはずの馬が思わぬダークホースによって負けてしまったりするのです。

しかし、それは債務者であるあなたのせいではないのです。繰り返しますが、この世界の誰も一瞬先の未来などわからないのです。ましてや今の時代、不景気の中、正社員の終身雇用が形骸化した時代、会社が倒産したり、解雇されたり、苦しい生活の中で病気になったりしても誰があなたを責めることができるでしょうか。

ただ、お金というものは人間社会を構成する根幹に位置するもので、それに対する人の感情は古今ほとんど変わりません。だから昔からどんな人でも、借金を持てばいざ返済に際して良い思いはしませんし、債務超過になれば悩み苦しみます。逆に取立をする側は債務者が返済を拒めば拒むほど、債務者により圧力をかけて何とかお金を捻出させようとします。

これは債務者にとって本当に苦しい立場です。債務整理という言葉が頭をよぎるかもしれませんが、だからといって今までやったことのない任意整理や自己破産をするというのも尻込みしてしまうものでしょう。当所は必ずしも債務整理をゴリ押ししたりはしません。ただ、それを行うとどういう気持ちになるのかを誰でもできる方法で伝えることは可能です。

以前のコラムでも少し触れたことがありますが、現在、断捨離という掃除方法がブームになっています。断捨離とはたとえば、いつか使おうと思っている洋服や家電、家具、または過去の恋愛相手の写真やらといったものを思い切って捨ててしまうこと。こういう品物というのは大抵他人の目にはガラクタ同然の無価値な品物です。しかしそれを手に取ると「う〜ん、使うかもしれないし」とか「これはあのときの思い出の品だから」という気持ちになってなかなか捨てることができないのです。

この断捨離というのを客観的に見ると、要するに他人から見れば無意味で何の価値もないガラクタに、持ち主の心がとらわれていることを示しています。こういうものを「一年間使わなかったものは全部捨てる」などとルールを定めてどんどん捨てたり、売ったりしてしまうと、驚くほど気持ちがスッキリするのです。

これは一種の「自分でできるプチ債務整理」ともいえるもの。未来はわからないのに、そこに期待を繰り返し、しかも過去のガラクタに足を引っ張られて家はゴミ溜めのように雑然としている。だからこそ断捨離のようにどんどん過去を捨ててしまえば、後は何ものにもとらわれない自由な未来が目の前に開けてくることでしょう。

もちろん、先祖の遺品や位牌のように人として捨ててはいけない品物というものもあります。たとえば自己破産でも現金のほか、パソコンや冷蔵庫・電子レンジ・洗濯機のように人が生きるに必要なものはすべて残すことができます。断捨離はこれを自分で行えるというもの。もちろん断捨離では借金を捨てることはできません。

もし、いらない思い出やガラクタをスッキリと捨てることができたのであれば、最後に残った借金にも挑戦してみて下さい。債務整理さえ行えば、その後は、働いた分だけ手元に入る現金と、未来という名の無限の可能性が目の前にそびえていることにきっと気づくことができるはずです。

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