債務整理コラム
「金なんて」とつぶやく人の悲しい末路
お金というものは人生を支える上で大変重要なものです。お金なくして生活をしてゆくことはできません。もちろんロビンソン・クルーソーのように無人島で生活するのなら、あるいはお金はいらないのかもしれません。でも、人は多くの人々との関係によって成り立っているのです。一人で暮らしている人であっても、上下水道や電気・ガスのようなインフラがあるから生活ができるのです。警察や自衛隊がいるから、安全が守られているのです。
それにも関わらず「金なんて」とお金から顔を背けている人もいます。これは経験談ですが、お金に対して「金なんて」という人にまずお金は寄ってきません。またそういう人がたまたま宝くじのような運頼みでお金が転がり込んできた場合、意外にもお金を大事にしている人以上にお金に呑み込まれてしまいます。毎日毎日自分のためにばかり豪遊を繰り返し、たちどころに使い果たしてしまうばかりか、最終的には借金まみれになってしまうのです。アメリカで宝くじに当たった人の多くが、数年後「宝くじなんて当たるんじゃなかった」と嘆いている話を耳にした人も多いのではないでしょうか。
「金なんて」という人がたまたまお金に恵まれてしまうと、たちどころに不幸のドン底に落ちてしまう。その理由はお金が入ってくることで、できる範囲が極端に広がってしまったことによるものです。
お金は人の人格を広げる
人間の生活というものはそうは変わりません。日本と遠く離れたアフリカの奥地に住んでいる人だって、食事をして排泄をして眠ります。同じ人間だからです。ましてや同じ国内に住んでいる日本人ならばなおさらでしょう。お金が入ってくることで何が変わるかというと、サービスが良くなるのです。食事はより彩りを増し、お風呂場はゆったりとスペースが広く、ベッドはふかふかになるでしょう。しかし逆にいえばその程度の違いしかありません。
よくいわれることですが、お金はその人の人間性を如実に反映します。あまりお金を持っていない人が急に大金を持ってしまえば、最初はともかく、次第に欲望を助長することになるでしょう。食事は最高級のステーキが良い。車は最新のフェラーリが良い。お風呂にはジャグジーがついて、ベッドルームから見えるのは湾岸の夜景。アメリカであれば、カジノやらクルーザーやら、場所によっては麻薬だってあるかもしれません。
これらはその人の人格の延長線上にあるもの。お金があまりないから、本来であれば満たしたい欲望を満たせなかった。それだけのことなのです。でも、そんな欲望ももちろんお金がなくなれば実現できなくなります。しかしお金がなくなっても欲望だけは残り、今の生活を捨てたくないと執着する。その結果、借金だけが残るのです。これが「金なんて」と普段ぼやいている人の典型的な末路です。
これに対してお金持ちはとにかく自律心が強い人が多いのが特徴。よくあるテレビのセレブのような生活は全くといいほどしていません。彼らはお金を貯めますが贅沢はあまり好まず、私たちと変わらない生活をしているのがほとんどなのです。
「金なんて」とつぶやく人の悲しい末路
言葉というものは恐ろしいものです。普段口にしている言葉がその人の人間を表します。それはときに過去に起こったことばかりか、これから起こることすら現実にしてしまうこともあるのです。
「ロックミュージックが好き」と日頃から口に出している人は、やっぱりロック好きな友人が多いでしょう。またロックミュージックにも詳しいはずです。エレキギターが弾ける人だって少なくないはずです。
逆に「ロックは嫌い、クラシックが好き」という人であれば、やっぱりロックよりもクラシックが好きな人の方が多いはずです。このような人であれば繁華街の喧騒を嫌ったり、おっとりとした人付き合いを好んだりするかもしれません。
最初のうちはクラシックが好きではなくても、自分から決意してクラシックを好きになろうとすると、次第に現実も変わります。「ロックが嫌い」といえば、ロックンローラーの友人たちは次第に去ってゆくことになるでしょう。
お金にも関してもこれと同じことがあてはまります。常日頃より「金なんて」といっている人のところに、まずお金は寄ってきません。またそういう人ほど、いざお金が手に入る事態になると浅ましい態度に出てしまい、顰蹙を買ってしまいます。
お金が好きなことは恥ずかしいことではありません。お金は大事で、お金そのものが好き。まるで口癖のようにそういえるようになれば、たとえ今借金生活であったとしても、日頃よりお金が大好きだと述べていれば、意外にも借金生活は早く終わる可能性あるのではともいえるでしょう。