債務整理コラム

借金の返済時、現実と思いは細かく切り離す必要がある

サラ金会社は「敵」であるということを肝に銘じる

身も蓋もない言い方ですが、借金で行き詰まっているとき、サラ金会社は債務者を攻撃してきます。同じ人間だからと甘い顔をしていると、根こそぎお金をむしられ、迂遠な言い回しながらも売れるものは何でも売り払うように指示され、朝も夜もアルバイトを入れるように言われることでしょう。そうして債務者が過労のあまり倒れてしまっても、その間もサラ金は金利を延々と乗せ続けます。

ひどいと思うかもしれませんが、サラ金とはそう言うものです。サラ金で働いている個々人の中には良い人もいるかもしれません。悪者ではないかもしれません。でも仕事ではまったく別です。借金をしている人にとって彼らは敵なのです。居留守を使えばあきらめるとか、督促をどう切り抜けるかのような小手先のテクニックは一切通用しません。

「そんなことない」と思う人もいるかもしれません。でもこれは本当のことです。人にはそれぞれ立場や役割があります。そしてそれを遵守しているから、彼らは生活が成り立っているのです。

「敵」ではない債権者にどう接するか

サラ金のように明確に「敵」とは言い切れない債権者もいます。最もわかりやすい例は家族や友人でしょう。家族の場合は話し合いで何とかなることが多いでしょうが、借用書を書いた上での友人関係というのは接し方がとても難しいものです。

たとえば友人から一万円を借りたとします。一緒に遊びに行くと、ときどき友人はきまり悪そうな顔をすることがあります。またそのうちの何回かに一度、意を決したように「あのときの一万円、返してもらえるかな」と言ってきたとしましょう。

このとき債務者の方が「返すよ、給料が入ったら」とのらりくらり繰り返していると催促は段々激しくなってくるかもしれません。やがて債務者が「うるさいなあ」と思い出した頃、その友人はフッと姿を消すかもしれません。もう友人ではなくなったのです。これはつまり、お金を借りた相手が、友人という位置から限りなく「敵」に近い他人に切り替わってしまった瞬間なのです。

どちらに返済を優先すべきか

サラ金と友人、どちらに返済すべきか。この回答はもちろん人によってさまざまです。ただ、人生の目的を「幸福になること」と定義すれば、サラ金よりは親しい人への返済を優先する方が良い傾向があるようです。というのは、サラ金に返済をしたところでサラ金会社はそれを「当たり前」と捉えるだけだからです。

これに対して善意でお金を貸してくれた人たちに対してであれば、今の自分の状況を赤裸々に語った上で「今これだけしか返せないけど、毎月五千円ずつ返済するから」などと話をすれば、まず待ってくれる人の方が多いはず。

実はこれは借金返済の上でとても大切なことなのです。

返すつもりがあるかないか

返すつもりの有無。実はこれは借金問題を扱う上で必ず頭の片隅に留めておいて欲しいことなのです。

というのは、たとえばサラ金業者が取り立てで「お金を返すつもりが少しでもあるんですか」と言ってきたとします。このときに「本当なら返したいのですけれど、あいにくどうしても手元にお金がなくて」と返事をしたとしましょう。

こうなるとサラ金業者は「じゃあ、今いくら持ってるんですか。千円ですか、二千円ですか」と問うてくるかもしれません。そして、その中から「だったら百円でも、二百円でも返してください。そういう気持ちが大事なんです」などといわれる可能性は大いにあります。そしてその言葉にほだされて、思わず手持ちの五百円を返済してしまう。

これは借金整理の上ではNGと言える行為。最初に述べましたが、サラ会社は「敵」です。もし、自己破産の手続きをしているとき、サラ金会社にこのようなことをいわれて少しでもお金を渡してしまうと、裁判所は「返済の意思あり」とみなして免責が降りない可能性が出てくるのです。

もちろんサラ金会社はそんなことは言いません。一昔前の言葉でいうところの「誠意を見せてくれ」を繰り返すだけ。そうしてその情にほだされてしまえば、サラ金は「債務者は返済の意思がある」と主張してきます。後になって「だまされた!」と思ってもあとのまつりなのです。

このように借金を返済するときには、現実と思いは細かく切り離す必要があります。借金問題は本当に予想もつかないところに落とし穴がたくさん潜んでいるもの。借金で困ったのであれば、まずは当所までご相談下さい。

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