債務整理コラム
その借金、本当に必要なの?
シン・イストワール法律事務所では、借金問題についてのご相談を日々受け付けています。でも、一口に「借金の相談」といってもその内容はさまざまです。
サラ金会社への返済に頭を悩ませる人もいれば、多重債務の一本化をすべきか考えている最中の人もいます。連帯保証人として借金をなすりつけられたと債務者に怒り心頭の人もいます。自己破産をしたものの、生活再建のめどが立たず、つい闇金業者から借入をしてしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまった人もいます。
人の数だけ事情はあれど、シン・イストワール法律事務所ではみなさまからの借金のご相談をお伺いしてゆくにつれ、ある傾向を持つ人がたくさんいることに気付かされました。
それは「今、借金の返済で苦しんでいるのはよくわかるけれど、でも、そもそもそんな借金をする必要があるの?」というタイプの人です。
借金は誘惑に満ちた一つのワナ
借金についてこういう言葉を聞いたことはないでしょうか。
『借金の額も信用のうち』
果たしてそうでしょうか。
たとえばあなたに仲良くしている若者がいるとしましょう。彼はあなたのことを人間的にとても慕っており、あなたも彼のことを身内のようにかわいがっています。さて、この若者がある日、プロミスの広告を眺めながらこうつぶやいてきたとします。
「お金がないからプロミスで借金しようと思うんだけど。借金も信用のうちっていうよね」
そんなことをいいながら生まれて初めて借金をする若者に、あなたは「すばらしい。どんどん借金をし、何年間もがんばって返済を続けなさい」というでしょうか。そんなことはないはずです。軽い調子でも「借金なんて止めた方がいいよ」というのではないでしょうか。
自分が借金で苦しい思いをしているからこそ、親しい人たちに同じ思いを味あわせたくない。それは人として自然な感情です。ところが、そこまでわかっているのにも関わらず、自分はまた借金をしてしまう。それどころかサラ金に返済をするためにまた別の借金までしてしまう。
これは信用の問題ではありません。「借金できるうちは信用がある証拠」などというのは、単なるいいわけ、借金をしたいがための口実に過ぎないのです。その証拠に、債務者の人は普段は、借金なんてへっちゃらなどという顔をしていても、返済日が近づくたびに心の中では苦しさに顔を歪ませていることでしょう。
借金は苦しいもの。信用がうんぬんなど、単なるへりくつのいいわけに過ぎないのです。
なぜ人は借金をしたがるのか
借金の返済で苦しむということは、自分がお金をコントロールしているのではなく、お金にめちゃくちゃに振り回されているだけ。
それにも関わらず、人は借金をしたがる。それはなぜでしょう。その理由は、借金は、入り口だけは甘いからです。
借金の仕組みをかたちにすると、それは動物をとらえる仕掛けに似ています。
魚釣りの仕掛けであれ、獣を狩るトラバサミであれ、ワナの原理はみんな同じです。ワナは、獲物の好物をひょいと目の前にぶらさげます。そしてまぬけな獲物がついうっかり、好物に手を伸ばしてしまうと、釣り針やトラバサミがしっかりと獲物に食らいついて放しません。
借金はこれと同じです。目の前の現金についうっかり手を伸ばしてしまうと、そこから抜け出るのは至難の業。ワナに引っかかってしまっているのです。
そして、口ではどんなことをうそぶきつつも、債務者はみんな心の中で自分がワナにかかっていることにうっすら気づいているはずです。
「借金の額は信用の大きさ」の間違い
借金で苦しんでいる人は「借金」を「信用」と言い換えることで自己正当化を図ろうとします。しかし、なぜ借金が信用なのでしょう。ある債務者は、借りたお金に利子をつけて返す人間だと「信用」されているからだと言います。そういう見方は間違いだとはいいません。しかし、それはあくまでも借り手である債務者の一方的な見方に過ぎません。
債権者であるサラ金は、借り手である債務者に対して信用など小指の爪の先ほども持ちあわせていません。完全なギブ・アンド・テイクの関係でしかないのです。
そもそも、なぜ人は借金をしようと思うのでしょうか。結婚をしたから? 進学のため? 出産費用? 急な冠婚葬祭? 一つひとつの理由をあげればもちろんきりがありません。でも、これらを一括りにしてしまうと、こう述べることができます。
「みんながやっているから」
では、もしそのときに借金をしなかったらどうなるでしょう。
「人生が悲惨なものになる。苦しいものになる」
果たしてそうでしょうか。結婚するのにお金が必要。マイホームを買うのにお金が必要。進学のため、冠婚葬祭のため。本当に必要でしょうか。
結婚にお金をかけない人はたくさんいます。マイホームを買わずにアパート暮らしを続けている人などは掃いて捨てるほどいます。生活が苦しくても一生懸命勉強をして、国から返済不要の奨学金をもらっている生徒はたくさんいます。冠婚葬祭であっても、最低限のかたちだけで済ませている人は珍しくありません。
借金をしなければいけない用事ができたとき、借金をしないで済ませても、その苦痛はほんの微々たるものに過ぎません。しかし、大半の人は借金をしてしまいます。みんながやっていることに自分を合わせておきたいからです。
お金がないのに見栄を貼る。それを信用と言い繕う。サラ金会社のような貸付の専門家は債務者のこの心理を見抜いています。
お金がないのであれば、ないと正直に告げる。身の丈に合った生活を送りつつ、同時に儲かるように努力してゆく。社会に裏道やうまい話はありません。そのようなタナボタを求めて人生を終えてしまうより、借金で困っているのであれば早めに整理をし、堂々と人生の正道を歩む方がずっと早く人生を再建できることは間違いありません。