破産申立に至った事情007/女性

申立人 ○○ ○○

一、学歴

1976年 3月○○市立 ○○中学校卒業
1976年 4月私立 ○○○学院入学
1979年 3月同校卒業
1979年 4月○○○ビジネススクール ○○○○○○科入学
1979年 9月中退

二、職歴

1979年 9月株式会社○○○ ○○店入社 月給135000円 ボーナス夏冬 30万円
1981年 2月退職
1981年 9月株式会社 ○○○○○ ○○部 入社  月給15万円 ボーナス夏冬 30万円
1984年 2月退職
1984年 6月株式会社 ○○○○ ○○部 入社 月給17万円~21万円 ボーナス 夏冬50万円
1988年 9月退職
1989年 1月株式会社○○○○○○○○○○○入社 アルバイト 月給18万円
1990年 9月退職
1990年10月株式会社○○入社 月給 18万円 ボーナス夏冬50万円
1993年 5月退職
1994年 7月株式会社 ○○○○入社 月給8万円 アルバイト
1998年 2月退職
1998年12月○○○○○○○○○○開設
2011年 3月廃業
2011年 4月○○○○○○○○○○○○○○入社 アルバイト 月給15万円
現在に至る。

三、結婚歴

1994年6月○○○○と婚姻。
1998年3月離婚

四、借入状況

1985年12月
 アパレルメーカー(○○○○)の総務に配属されたのがきっかけで三和銀行(三菱東京UFJ銀行)のカードローンを契約しました。借入のきっかけは当時の社員旅行の際にお金がかかり、生活費が足りなくなったものと記憶しています。当時はバブルの全盛時代で、仕事も忙しいがアパレルメーカーと言うこともあり、自分の洋服にも気を使わなければいけない立場だったため、洋服代が嵩み生活費を圧迫していたこともあり、給料日前などは借り入れで凌ぐようになりました。そして1988年に○○○○を退職する時には、カードの限度額がいっぱいとなっておりました。

2000年12月
スポーツクラブのティップネスでカードを作成しました(オリエントコーポレーション)。当時はサロンの運営が軌道になかなか乗らずにいたため、生活費の補てんのために使用しておりました。

2001年1月
父が亡くなり、ひとりになった母の生活を援助するようになって生活費が足りなくなり、借り入れを増やしていってしまいました。母が他界するまで、このような状況が続きました。

2006年7月
お客様で音楽関係の方がいらっしゃり、お付き合いでぴあカードを作成しました(三菱UFJニコス)。主にこのカードでは日々の食材や生活品等を購入しておりました。

2008年11月
楽天カードを作成し生活費に使用するようになり、研修旅行の代金支払もこのカードで行ないました。

2009年9月
この頃にはサロンの赤字が深刻化してきており、国民生活金融公庫に融資の申入れをしましたが断られたため、ビジネクストから借り入れを行いました。

2010年9月
サロンの売り上げがさらにガタ落ちになり、追加で200万円をオリエントコーポレーションのビジネスサポートにて借り入れを行いました。

2010年11月
最後に借入をしたビジネスサポートの返済が不可能になったため、司法書士に債務整理の依頼を致しました。当初は任意弁済をしていくつもりでおりました。

2011年6月
サロンを廃業し、家賃の高い○○の家から○○○○に引っ越して、同居人の仕事を手伝って生計を立てるようになりました。

2011年3月
再度司法書士の事務所に伺い現状を説明したところ、収支状態の判断から破産を勧められました。借りたお金はきちんと返したい気持ちが強かったのですが、将来を考えた上で、申立を決意致しました。

五、現在の生活状況及び心境

債権者の方々には多大なご迷惑をお掛けして申し訳なく思っております。このような過ちを二度と繰り返さぬよう反省し、慎ましい生活を心がけていきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

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