依頼者からの借金体験記
債務整理の甘いワナ
取立と言う恫喝
多重債務の恐ろしさは病に似ています。まだ、だいじょうぶだろう。なんとかなるはずだ。そのような願いにも似た思いを抱える間にも、金利はじわじわと身体をむしばみ、やがて気づいたときには取り返しがつかなくなっているのです。
ここでは、かつてわたしが多重債務におちいり、そしてシン・イストワール法律事務所を通じてどうやって借金生活から抜け出たかについてお話いたします。
2004年の冬。わたしは東京の大田区で、父からゆずり受けた小さな町工場を経営していました。工場は大手自動車会社の孫請けに位置し、自動車部品となるボルトやヒンジなどの専用の固定具を主に製造するものでした。
ところが2000年頃から部品の受注が徐々に減り、2002年を境に突然三分の一にまで落ち込んだのです。どうやら発注企業が自社内に製造を集約したとのことでした。
最初は悪い噂だと自分に言い聞かせていました。しかしある日、発注企業の外注担当から正式に電話でそれを告げられたのです。その瞬間、わたしは受話器を持ったまま、一分近く固まっていました。
このままでは工場を続けられない。だからと言って、いまさら新しい仕事など探せるわけがない。二人の娘の教育費や、父の代から働いてくれている従業員への給与、設備投資のローン、そして「不渡り」の文字が頭の中をめちゃめちゃに駆けまわり、わたしは、気づいたときには決算書をはじめとする関係書類をカバンに詰め込み、営業に出てくると言い残して工場を飛び出していました。もちろん、行き先は銀行です。
「ムリですね。申し訳ありません」
銀行員の言葉はにべもないものでした。借金させてくださいと頭を下げるヒマすらありません。本当に素早く冷たいシャットアウトでした。
すべての銀行に融資を断られ、あてもなく、わたしは蒲田の駅前をうろついておりました。“途方に暮れる”とはまさにこのこと。しかし言葉では簡単に言っても、そのときの気持ちはなかなか伝わらないと思います。まるで破産と言う化物が後ろから追いかけてきている中で、出口のない迷路を泣きながら逃げまわっているような感じだったのです。
一体、どれほどの時間がたったのでしょう。気づけば、わたしが行き着いた結論は「とにかく、今月一ヶ月を生きのびる」と言うものでした。そう決めるや、わたしの足は商工ローンへ。こうして、わたしの借金生活が始まりました。
「おい、なんで電話でないんだよ!」
通話口が壊れるのではないかと思うほどの怒声が携帯電話から響いてきました。
86件。たった一時間、電話に出られなかった間に債権者からかかってきた携帯電話の着信件数です。
商工ローンから借金をして四ヶ月、多重債務におちいるまではあっという間のできごとでした。多重債務におちいった理由。それは、商工ローンの限度額が思ったよりも低かったため、個人向けの消費者金融からの借入も必要になったこと。そして消費者金融業者から、一括完済できない場合は他社から借りて指定の金利を納めるよう、ほのめかされたことによるものでした。債務総額は既に550万円に達しており、利息は毎月18万円近く。返済も次第に遅れがちになってきていました。
その日、わたしはなけなしの金で菓子折りを買い、発注元の外注担当へ営業の挨拶に赴いていました。発注元を訪ねたところ、外注担当は電話をしており、彼が話を終えるまで、わたしは片手に菓子折りを入れた袋をぶらさげたまま、ずっとデスクの横に立っていなければなりませんでした。
しばらくして、ズボンのポケットから携帯電話の振動を感じました。二十秒震えては一回途切れ、また二十秒震えては一回途切れる。債権者からの督促です。けれど、今出るわけにはいきません。胃をわしづかみにされているような感覚に耐えながら、一刻も早く外注担当の電話が終わることを願うばかりでした。
一時間後、やっと担当が電話を切りました。
「おまたせ。Aさんですよね、うん、今は発注ないわ。入ったら連絡しますね」
わたしより一回り若い外注担当は、それだけ言うと立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまいました。後に残るのは、まるでわたしが空気であるかのように、無表情で傍らを行き交う部署の職員たち。わたしは、言葉もなく立ち尽くすしかありませんでした。
帰り道で着信のあった携帯電話に折り返した途端、鼓膜が破れるかと思うほどの怒声が響いてきました。商工ローンの担当者でした。電話に出なかったことを理由に、数分にわたって聞くに絶えないような罵声を散々浴びせられた後、わたしは、返済期日についてせまられました。返せるアテはありません。けれど、ほんの少しでも言いよどむとたちまち恫喝が飛んできます。再び問われる返済期日。次第に真っ白になってくる頭のどこかで“追い込み”とはよく言ったものだと、小さくつぶやく声が聞こえました。
「あんた、返す気ないでしょ。もう、法的手段に出るから」
怒気をはらんで放たれた商工ローン業者の言葉に、私は息を飲みました。要は担保の機械設備を根こそぎ差し押さえると言っているのです。
「待ってください」反射的に私は叫びました。
差し押さえられたら、今ある少ない仕事すらできなくなってしまう。三日後には必ず返済する。そう約束をするほかに手立てはありませんでした。
家に帰ると、妻が青い顔で立っていました。彼女は真っ赤に泣き腫らした目をわたしに向けながら「取立が来たの」とだけ言いました。
「だいじょうぶ。何も心配いらない。必ず何とかするから」
自分に言い聞かせるかのように、私はつぶやきました。
けれどもその晩、わたしは消費者金融から新たな借入を断られたのでした。連帯保証人が必要だと告げられたのです。