依頼者からの借金体験記
任意整理が救った多重債務地獄
第2章
パート先で知り合ったNさんの誘い
最初に消費者金融からお金の借り入れをしたのは、債務整理をする3年前でした。その1年前、マンションから一戸建てに買い替えをし、増えた住宅ローンの返済のため、子供を保育園に預けてパートで働き始めていました。ある日、同じパート仲間のNさんからこんな誘いを受けました。
「ねぇ、今度のお休み、家に遊びに来ない?みんなで1品を持ち寄ってホームパーティをやるの」
いつも職場でも明るく、周りを盛り上げる雰囲気のNさんの言葉に誘われ、次の休みの日に彼女の家を訪問しました。
子供2人を自転車の前と後ろに乗せ、自宅から30分ほどの距離にNさんの家があります。彼女の家に到着すると、パーティは始まっていましたが、そこで見た光景は、とてもショッキングなものでした。
「どうぞー、上がって来てぇー」
20畳ほどあるリビングキッチンに入ると、私と同じような主婦たちが7〜8人はいたでしょうか。Nさんは、ひとつのお鍋でいくつかの料理をササッと作り、お皿に取り分けていました。
「○○さんも遠慮しないでね。はい、ちょっと試食してみて!」
Nさんは、作ったばかりの料理を差し出しました。ホームパーティの雰囲気と、彼女が手早く作った料理はとても美味しく、私は圧倒されてしまいました。その“ホームペーティ”がお鍋の販売会だということを、しばらく経ってから知りました。しかも、簡単に美味しい料理が作れるお鍋を友達に紹介するだけで、私にもお金が入ると言うのです。
良いものがあると、すぐに人にも伝えたくなる性格の私は、それが仕事になるなんて、なんて素晴らしいの!と、単純にそう思いました。そして、Nさんに仕事としてスタートする方法を聞き、私はパートが休みの日に活動を始めました。
パートより稼げると思った訪問販売だったのに・・・
最初の半年くらいは、友達も商品を購入してくれたり、友達がまた友達を紹介してくれたりと順調でした。銀行の口座にも、紹介料が5万円、10万円と入ってきました。
「このまま行けば、毎月パートより多い収入が得られるかも」
そんな風に安易に考えルンルンでした。
ところが、友達から紹介されたYさんから「私も仕事でやりたいから応援して」と頼まれるようになり、休みの日はほとんどYさんのために動くようになりました。料理の材料費からガソリン代、ときには車にお鍋などの道具を積み込んで、車で5〜6時間かかるところまで行くこともありました。やがて、Yさんの仕事が順調になると、平日にもホームパーティをやりたいから来てほしいと頼まれるようになりました。仕方なくパートを休み、Yさんの友達の家に出かける日が続きました。
そうなると、パートの収入も当然ですが減りますし、休みが多くなると上司からも露骨に嫌な顔をされ、だんだんと職場で居心地が悪くなってきました。それに、Yさんのために動く時間をとられ、自分が直接商品を販売する活動ができなくなり、お鍋の仕事での売上も減った挙句、Yさん主催のホームパーティへ行くための費用ばかりが増えるようになっていったのです。
訪問販売を始めて1年も経つと、収入よりも支出のほうが多くなり、パートで少しずつ貯めたお金もすぐになくなりました。でも、負けん気の強かった私は、主人にはこのことを言えず、いつしか足りなくなった生活費の穴埋めとして10万円をキャッシングし、主人のお給料から毎月2万円を返済することにしました。
「2万円くらいなら返せるだろう」
まだ借金地獄の怖さを知らなかった時期です。のんきな私は何とかなるだろうと高をくくっていました。住宅ローンやリフォームのローンなどと同じ感覚でいたのでしょう。「何とかなる、何とかなる」そう呪文のように自分で唱えていたのです。